Convivi Lab no.17「地域共生社会からエコシステム社会へ ~官民越境の構想と実践~」イベントレポート
地域福祉とは、誰か特定の人のために必要なものではない。その地に住む人たちすべてに必要なものであり、すべての人が関わって初めて実践が可能なものでもある――
厚生労働省職員であり、アミタホールディングス株式会社に出向している野﨑伸一氏はそう主張する。
これまで、日本の社会保障制度は「自助」と「互助」を基本としてきた。つまり、自分で健康管理をしたり、住民どうしで助け合ったりすることが基本であり、それを補完するために制度による「共助」・「公助」がある。それゆえ、共助・公助の対象は、特に支援が必要とされる「高齢者・障がい者・子ども」などに特定されてきた。
しかし時代は流れ、日本のコミュニティの在り方は変わった。例えば今あなたが急に病気で倒れたら、自分や家族にたちまち降りかかる様々な困難を、「自助」と「互助」でなんとかできると思えるだろうか?もしあなたが高齢者でも障がい者でも子どもでもないとしたら、社会福祉制度は一体何をしてくれるだろう?
「福祉」=「ウェルビーイング」を脅かす出来事は、全ての人に起こりうる。これから人口や財政の制約がますます大きくなる中で、「みんなが生きやすい社会」はいかに作っていくべきなのか。厚生労働省や民間企業の中での経験をもとに、野﨑氏が考えを語ってくれた。
鳥・虫・魚の目 —福祉の現状と「可能性」
厚生労働省に勤務していた頃、野﨑氏は福祉制度の現状を様々な視点から洞察してきた。「鳥の目」「虫の目」「魚の目」に整理して、その視点を共有いただいた。
まず社会全体を俯瞰する「鳥の目」からは、前提として考慮しなければならないことを語った。従来の「足りなければ新しく作ればいい」と施策を拡大させていく発想は、もはや成立しないということだ。それは、日本社会の人口減少が進み、財政上の制約もますます大きくなるからであるし、価値観として右肩上がりの成長モデルを脱して「持続可能性」が追求されるようになったからでもある。
次に、これまでの社会保障制度の課題を、暮らしに密着した「虫の目」から解説いただいた。これまでの社会保障制度では、自ら健康管理などをする「自助」と、住民どうしで助け合う「互助」が基本とされており、制度による「共助」・「公助」はそれを補完するものだった。そのため、共助・公助の対象は、特に支援が必要とされる「高齢者・障がい者・子ども」などに特定されている。
一方で、実際に個人が抱える課題は多様かつ複合的である。例えば、NPO法人ライフリンクによる調査では、自殺で亡くなった方523人についてその要因を分析したところ、69個もの「潜在的な自殺の危機要因」が見つかった(「自殺実態白書2013」)。その中には職場環境の変化、DV被害、いじめなど、「福祉」の枠に収まらない問題も多く含まれる。支援の対象者や方法が限定されていては、多様な困難に漏れなく手を差し伸べるのは難しいだろう。
制約が強くなる一方で、多様なニーズには応えきれない現行制度。しかし時流を読む「魚の目」からは、意外にも前向きなメッセージをいただいた。かつての日本では、農村や会社が共同体の役割を果たして互助が機能していたが、今となっては経済が成熟し、雇用の流動化も進んだことで、「個人主義」化が著しい。このことは一見課題のように思える。しかし裏を返せば、「幸福」の価値観が多様化したことで、今までになかったポジティブな価値が生まれていく可能性があるということでもある。何が「先進的」なのか、何をもって「前進」なのかを、それぞれが考え直すチャンスにあるのだと語った。
「もし私が、がんで倒れたら?」 ―誰もが関わる地域福祉を目指して
福祉の課題を語る上で野﨑氏が自問の形で発した、「もし私が、がんで倒れたら?」という投げかけは印象的だった。闘病と両立できず仕事を辞めることになれば、経済的に苦しくなるだけではない。公務員住宅を出ることになり住まいを移さなければならないし、その結果家族がコミュニティから孤立してしまうかもしれない。そうなった時、社会保障制度は何か意味のある支援を提供してくれるのだろうか?
「福祉」の本来の意味は「ウェルビーイング」である。それを脅かす出来事は、誰にいつ起こってもおかしくない。福祉とは本来、特定の誰かのためのものではなく、みんなに関わることだ――そう考えた野﨑氏は、地域の全ての住民が地域福祉に関わることで、「みんなが生きやすい社会」を作ることを目指すようになった。誰でも何らかの関わりが得られる社会を作っていけば、お互いに気にかけたり、思いやったりする関係性を増やすことができ、制度に頼り切った状態ではなくすことができる。
そしてそのためには、「これが福祉だけの話ではないこと」が重要であると語った。みんなが関われる別のこと、例えばまちづくり、文化活動、環境保全活動、地域産業などの「きっかけ」がなるべく多く存在することが必要だという。その中で、各自が興味・関心のあるものに参加してもらうことが、関係性を増やしていくことに繋がるのだ。
厚生労働省で福祉への洞察を深めていった野﨑氏は、一方で、「介護予防」という特定分野の取り組みだけでは、参加者も担い手も偏り広がらないのではないかとの問題意識を持った。そこで、アミタホールディングス株式会社(以下「アミタ」)への出向をきっかけとして、別のアプローチへと乗り出していくこととなる。
地域福祉のエコシステムの「つなぎ目」になる —「まるごとの社会」を実践するために
アミタは廃棄物の再資源化を本業とする企業であり、福祉や地域づくりとは一見離れた存在に見える。しかし、実際には自治体と連携し、地域コミュニティにまで効果が波及しうる事業を展開している。地域が抱える困りごとは資源循環だけでは当然なく、それこそ福祉・コミュニティに関するニーズもあり、自治体の単一部署では抱えきれない。アミタのような民間企業が「つなぎ目」になることで、自治体の部局を横断した連携もしやすくなるというわけだ。
アミタの具体的な取組事例として「MEGURU STATION®」がある。地域の資源回収ステーションでありながら、高齢者や子どもの見守りなど、コミュニティ内の互助を促す機能も併せ持つ拠点だ。現在、全国4自治体で拠点を設置している。各拠点ではそれぞれに独自の活動も行っており、それがコミュニティ参加の「きっかけ」づくりの秘訣になっている。ある拠点では子どもたちが夏休み中にボランティアスタッフとして高齢者の資源出しの手伝いをするようになった。また古着のリユース、子ども駄菓子屋などのコーナーを作るなど、より長く滞在したくなる魅力的な場づくりにも取り組んでいる。ステーションに通って人との会話が増えるだけでも、高齢者の健康や幸福度に良い効果が表れているそうだ(千葉大学との共同研究)。
資源循環だけを基点にするのではなく、もっと幅広い自治体のニーズにも応えていきたい。そう考えた野﨑氏は、より広範な分野を扱う「一般社団法人エコシステム社会機構」を創設した。同機構は自治体内の他部署連携のつなぎ目であるだけでなく、課題に応じて民間企業とのマッチングを行う「官民のつなぎ目」でもある。具体的なプロジェクト組成までを行うため、新たなモデル事業を行いたい企業にとってもありがたい存在だ。現在、自治体の会員が12団体、企業の正会員・賛助会員が61社加入している(※2024年7月19日時点)。
公共も民間も総動員したエコシステムを作ることによって、市民一人一人の幸福追求を応援できるようになる。野﨑氏は、自らがエコシステムのつなぎ目になることによって、それを実現させようとしている。
主体性と持続性 —講演後の議論より
野﨑氏は講演中、繋がりのきっかけを多く作る実例の一つとして、北海道多古町を紹介した。同町の中心地から離れた山の上には古くから障がい者施設があり、従来はその利用者と町民との間には壁があった。しかし時代とともに価値観は変わり、町全体で障がい者を受け入れるための取り組みが進んでいるという。大きな特徴は、町民による自発的な活動がいくつも発生しているということだ。ある酒屋の町民は、山の上の障がい者施設まで食べ物の訪問販売を行うようになり、あるパン屋の町民は障がい者雇用を始めた。障がい者が町の商店街を歩く「300人の歩け歩け大会」も定期的に開かれる。このような小さな活動が重なっていくことで、障がい者を含むみんなが繋がれる雰囲気が生まれているという。
講演後の質疑応答では、実際のフィールドでまちづくりに取り組む参加者が、自らの苦悩を共有する場面もあった。ある参加者は多古町の事例に触れ、経済的な見返りなしであくまで「やりがい」を動機にやってもらう場合、必ずしも持続可能にならないことについて問いかけた。これをきっかけに、話題は参加者の主体性と活動の持続性へと移っていった。
野﨑氏は、市民の活動と行政的な活動の違いについての考えを語った。行政的な活動には持続性が求められるが、一方で市民の活動は、むしろ流動性が確保されるべきだという。つまり、各自の状況やモチベーションに合わせて活動に、参加したり抜けたりできる構造が望ましいということだ。ただしこのような違いを前提にすると、行政の制度の中に市民主導のものを組み込むことが難しいという実感も語った。
一方で武蔵野美術大学の若杉教授は、持続性が必ずしも経済合理性を意味しないという持論を展開した。行政が「市民参画」を語るとき、「市民」には高齢者や子どもが含まれていないことが多い。一方で、特に高齢者には、やりがいを動機に社会参画したい人がまだまだいるはずだという。高齢者が子どもと触れ合って刺激を受け、喜びを感じる。それも継続のためのエネルギーに十分なり得るはずだと語った。
行政のリソースがますます限定されていく中、いかに市民の主体的な行動を引き出し、活発なコミュニティを維持していくか。地域づくりに思いを持つ様々な人が、この共通の課題に打ち込んでいることを実感する場面であった。個々の市民が自分にとっての幸福を追求した結果、ミクロな活動がいくつも生まれるという野﨑氏が描く理想像は、一つの希望溢れる解になるのではないだろうか。