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2026.05.19

子ども と/の プライバシー展 トークセッションレポート

武蔵野美術大学ソーシャルクリエイティブ研究所と株式会社日本総合研究所(以下、日本総研)では、2024、2025年度に子どものプライバシーについての共同研究を実施しました。
プロジェクトの総括として、去る2026年3月に「子ども と/の プライバシー展」と題して、これまでの研究成果の発表と、プロジェクトメンバーでアーティストの岡碧幸氏によるインスタレーションの展示を行いました。
会期中にはプロジェクトメンバーによるトークセッションが開催されました。本記事では、その模様をレポートします。

 

トークセッション「子ども と/の プライバシーをめぐって」

【登壇者】

  • 長谷川敦士(武蔵野美術大学 教授)
  • 村上芽(日本総研)
  • 若目田光生(日本総研)
  • 岡碧幸(アーティスト)
  • 中村萌絵(武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科修士課程)

 

なぜ今、「子どものプライバシー」なのか

トークセッションは、まず日本総研の村上芽氏によるイントロダクションから始まりました。企業のサステナビリティ支援に携わる中で「デジタル領域、特に個人情報の世界は大変なことになっている」と聞き、このテーマに関心を持ったという村上氏。「子どもから見て、プライバシーから見て、一体何が起きているのかを皆で考えたい」と、セッションの口火を切りました。
続いて、日本総研の若目田光生氏がプロジェクト発足の経緯と問題意識を語りました。技術の進展により、AIやIoTで人の属性や感情まで推定可能になる一方、市民の「気持ち悪い」という漠然とした不安から技術活用が進まない現状を指摘。特にEUがプライバシーを「個人の権利」と捉えるのに対し、日本では「感情」で語られがちな点を挙げました。データが経済的利益のために利用されることへの「不満」も存在し、企業と市民の間に「不幸な」すれ違いが生まれています。
このような正解のない複雑な状況下で、武蔵野美術大学が取り組むアートを用いた研究手法に日本総研が注目したことが、共同研究のきっかけとなりました。
プロジェクトが「子ども」に焦点を当てた背景には、近年の法改正の動きがあります。子どもの個人データ利用に親の同意を必須とするなど保護が強化される一方で、「それは本当に子どもが望んでいることなのか?」「子どもの最善の利益とは何か?」という根源的な問いが浮かび上がりました。国連が提唱する「子どもの意見を聞かれる権利」を形式的なものに終わらせず、子どもの声を実質的に反映させる方法を模索する必要性を感じたと若目田氏は語りました。

左から岡氏、若目田氏

左から村上氏、中村氏、長谷川氏

 

試行錯誤のプロセスと子どもたちのリアルな感覚

武蔵野美術大学の長谷川敦士教授は、数年にわたるプロジェクトの具体的な活動を報告しました。
プロジェクトは2023年度の「プライバシーの未来と□□」と題したワークショップから始動。この段階ではテーマを限定せず、一般のビジネスパーソンも交えてプライバシーの論点を洗い出し、「関与型のリサーチ」の可能性を見出しました。
その手応えから、2024年度、2025年度にはテーマを「子ども」に絞り、2回のワークショップを実施。子どもたちがプライバシーをどう捉えているかを探るため、身近な問いを投げかけたり、レゴやアルミホイルで「秘密道具」を作ってもらったりしました。
この調査から見えてきたのは、大人とは異なる子どもたちの独特なプライバシー感覚です。

・人間関係とプライバシーの範囲:子どもたちの世界は「家族」「学校関係者」「オンラインの友達」で構成され、その外側にいる「他人」への関心は低い。親がママ友に自分の写真を共有しても、その相手が自分と無関係な「他人」であれば気にしない傾向がありました。

・最大の恐怖は「物理的な危険」:プライバシー侵害で最も恐れるのは、名前や住所が特定され、家に押しかけられるといった物理的な危険に晒されることでした。資産や情報そのものより、身体的な安全が最優先されていました。

・割り切りと達観:テストの点数の公開や学校のタブレットの閲覧履歴は「仕方がない」と割り切る一方、「秘密はいつか広まるもの」と達観している側面も見られました。

・絶対に見せたくないもの:多くの小学生が口を揃えたのが「YouTubeの視聴履歴」。「黒歴史だから絶対に見せたくない」という強い拒否感は、彼らにとってのプライバシーの核心がどこにあるかを示唆しています。

 

当初、プロジェクトでは子どもたちが自らのプライバシーについて語る「子どもプライバシー憲章」の作成を構想していましたが、ワークショップを重ねる中で、子どもたち自身がこのテーマを「面白い」と感じているかという根本的な疑問に突き当たりました。「情報を守るべき」といった道徳的な回答は得られるものの、それは一方的な情報収集に留まっているのではないか。この課題意識から、子どもたちが主体的に、そして楽しみながらプライバシーについて考えられるツールとして、カードゲーム「ひみつオーダー」が生まれました。

2025, 2026年度の成果パネル

 

成果①:カードゲーム「ひみつオーダー」

大学院の中村萌絵氏も研究に参加し開発された「ひみつオーダー」は、「誰に」「何を」というカードを組み合わせ、「お母さんに、嫌いな人」「知らない人に、住所」といった状況を作り、それを「公開してもいい」順から「絶対に見せたくない」順に並べ、他のプレイヤーがその順番を当てるゲームです。
トークセッションでの実演では、登壇者同士でもプライバシー感覚が大きく異なることが浮き彫りになりました。長谷川氏は「このゲームは、プライバシーという言葉を使わずに、自分と他者では守りたい情報が違うという『想像力』を育むためのツール」だと説明。ルールを教えるのではなく、対話を生み出し、相手を思いやる「ケアの倫理」を学ぶ手応えを感じていると語りました。

「ひみつオーダー」解説パネル

 

成果②:アート作品「ホーム(アンド)ビデオ」

続いて、アーティストの岡碧幸氏が、本展のために制作したインスタレーション作品「ホーム(アンド)ビデオ」を解説しました。この作品は、岡氏自身の母親が撮影したホームビデオを素材に、画像処理技術で人物の顔のメッシュや骨格といった生体情報のみを抽出し再構成した映像作品です。
岡氏は、「ホームビデオという個人的な記録が、現代の技術によって容易に情報として分解され、外部と結びついてしまう危険性」を指摘。かつて安全な場所だった「家」が、情報端末を通じて外部と繋がり、プライバシーの境界が曖昧になっている現状を問いかけます。

岡碧幸「ホーム(アンド)ビデオ」 2026年

 

パネルディスカッション:変化するプライバシーの概念と未来

大学院を修了した中村萌絵氏は、修士研究として取り組んだ「社会におけるプライバシーの最低(さいてい)」について報告。現代のプライバシー問題は、単に「どの情報が取られたか」から、集積されたデータから「どう解釈され、評価されるか」へと移行していると論じました。AIなど機械によって判断される機会が増え、意図しないプロファイリングや選別に使われることへの危機感が新たな論点として浮かび上がっています。
この「推測される」というキーワードを受け、ディスカッションはさらに深まります。長谷川氏は、不完全な情報からネット上で人々の推測が膨らんでいく現状を指摘し、これは従来のプライバシー議論から進んだ次の段階の論点だと提起しました。
会場の参加者も交えた議論では、調査業界の立場から「子どもの本音を引き出す難しさ」が語られたほか、長谷川氏が、テクノロジーの設計段階で、全体の最適解だけでなく弱者への配慮といった「ケアの倫理」を「余白」としていかに埋め込むかが重要だと問題提起しました。
最後に長谷川氏は、多くの調査が意思決定の言い訳として使われがちであると指摘し、「一人ひとりが人として扱われることをどう考えるか。そこを考えればプライバシーの話ももっと良くなる」と、個人の尊厳を尊重することがプライバシーを考える上での根幹であると締めくくりました。村上氏も「子どもには配慮すべき部分があり、一人の人間としての人権があるということを皆で認識しないと、どうしても『保護』という一方的な方向に走ってしまう」と同意し、社会全体の意識変革の必要性を訴えました。
数年にわたる本プロジェクトは、子どもだけでなく、大人や企業にとっても、プライバシーという複雑な問題について、立場を超えて対話し、共に考えるための重要な足がかりを築いたと言えるでしょう。

*登壇者の肩書きは登壇時のものです