2025.11.25
【Vol.1】 Ichigaya Innovation Days 2025 ~参加型の未来~ インタビュー企画
2025年11月28日・29日に行われる、「Ichigaya Innovation Days 2025 ~参加型の未来~」の開催に向けたインタビュー企画です。
武蔵野美術大学造形構想学部の立ち上げに携わり、初代造形構想学部長として学部を主導し、現在は学長補佐をしている篠原 規行教授(映像学科)。造形構想学部は、クリエイティブイノベーション学科(以下:CI)と映像学科から構成されます。90周年事業として初の2学部制と、2019年の市ヶ谷キャンパスの誕生に深く関わってきた篠原教授に、造形構想学部のこれまでとこれからについて語って頂きました。
*イベントの詳細はこちらからご覧ください。
Ichigaya Innovation Days 2025 ~参加型の未来~

武蔵野美術大学造形構想学部映像学科 篠原 規行教授
──造形構想学部というのは、ムサビの未来をイメージした学部であり、新しい社会との接合を求めてムサビがイノベーションを起こしていく始まりだったように思います。その時、デザインが専門領域を超えて社会に開いていこうとするなら、広く社会の、未来を担う人たちにこの学科を開いていくべきではないかと篠原先生が仰って、デッサンなどの実技試験を入学時に課さない改革を行いましたよね。それは今回のテーマである「参加型の未来」にも通じることだと思っていて、そこで、当時のことも含めて、篠原さんにお話を伺いたいと思いました。
篠原:本学の入学試験で実技試験を一部廃止したのは、基礎デザイン学科が最初です。その後、建築、映像、デザイン情報、芸術文化学科と、一部実技試験のない入り口を広げてきました。CIは新たな美大志願者を求めているのだから、やはり実技試験は廃止すべきだと思い、実技は大学に入ってから学びを始めても良いのではないかと考えました。私の場合は、子どもの頃から絵が上手いと言われていたことから、中学の美術教師に感化された母親に美大に行くよう勧められ、関西の某芸術系大学を受けることになりましたが、実技試験で何もできずに落ちました。その後、美術の予備校があることを知り、東京の美術予備校に通い、何もできなかった私が一年でムサビに入学したわけです。要は、美術は学ぶものであるということです。美大入学を単に才能だと考えている世の中の認識が偏っていることを伝えたいと思っていて、CIがそのきっかけになると考えました。
しかし、2年間CIに関わって、難しいことにも気づきました。実技試験を経てきた学生は 中でこの状況を作り出すことは、なかなか難しいことでもあります。この状況を作り出し、そのカリキュラムを構成できれば、多分どんな人が入ってきても良いのです。そのためには教育の方法を新たにしなければなりません。美大は長らく『学ぶ場』でしたが、『教育の場』に変わっていく必要があると考えています。
──今は、学生が自分で勝手に学んでいく場だけれど、教える側が、きちんと方法論を持って教えていかなきゃいけないということですか?
篠原:はい、その両方がないとダメだと思っています。また目的についても、自分自身がそうだったのですが、絵を描くことを目的に絵を学び、デザインをすることを目的にデザインを学んでいました。しかし、今はそうではなく、この学びで得たアートやデザインの力にビジネスが注目し、ビジネスに活かせると言って美大としては追い風です。今という時代は、社会が最も美大を理解し、重視してくれている時だと私は思います。しかし、美大自身がそのことに気づいていなかった。美大は教育の対象を、また教育の目的をもっと拡大できるはずです。
──美大とガッツリ付き合ってみて、造形の感覚や思考がやっぱり美大の強みなんだと思っています。ビジネス側にいる身からすると、変にビジネスに寄るよりも、もっとつくること、手を動かすことに市ヶ谷は力を入れて良いようにも思います。
篠原:そうですよね。今、そこが少し力を入れたいと感じる部分で、変更されていくと思います。実技試験を経て入学した学生たちは、予備校に通い、1年間モチーフを見つめて描くという経験をしますが、これは決して軽視できないことだと最近思っています。例えば、ワインの瓶があるとします。それを私たちは描きながら2時間も3時間も見つめているのです。見つめている間に、瓶はこんな形をしていて、光の当たり方でこうなるのだとか、ワインが溜まって表面張力でこんな現象が起こるのだなとか、コルクはこうなんだとか、透明とは何かなど、いろいろと気づき、描きながら確認作業を繰り返します。時には持ってみて、その時の重さを感じながら描いたりもします。このように、観て理解する方法が他にあるかというと、多分ないと思います。それが絵を描くことの最大のメリットであり、描くことは時間をかけることであって、時間をかけるからこそ考える余地が生まれ、何かに気づく機会を得られるのです。その繰り返しが「創造的思考」であり、ここが始まりでもあります。描くということは、具体を通した美大特有の創造的思考方法なのだと思います。
──絵でなくとも言葉でも数字でも何でもいいのですが、要は、自分の観察、発見したものを表現するということですよね。これを「つくる」と言い換えてもいいんですけど、そこに時間をかけられない学生が多いですよね。なんでそんなにスケッチとか観察に時間をかけなきゃいけないんですか、となる。
篠原:どんな方法からでも理解につながればいいと思います。方法による特徴はあれど、方法は重要ではありません。描くことの代用として、例えば写真があります。単に撮るだけでは観察にならず、理解につながりません。撮った写真を「読む」ことが重要です。人は自分が意識を向けていることしか見ていませんが、写真は全てを写し出し、私たちの観察不足を補ってくれます。しかし、普通はその写真を読みませんよね。表現が目的になると、必然的に写真を読むことになります。動画も同様です。カメラを観察と理解のための道具として、思考にどう役立てていくかを、我々美大がしっかりと伝えなければなりません。表現することの手前に、重要な過程があることを伝える必要があります。
──今後、造形構想学部をもっとこうできたらということはありますか?
篠原:CIに関しては、どんなことでも構わないので、半年間ほど続ける造形の実習があると良いと思います。デッサンでも模型作りでも、何でもいいのです。要は物事の奥行きを知るために、効率ではなく時間をかけることが重要です。効率は思考や気づきの機会を奪いますから。もう一つ重要なことは、図面を学ぶことだと思っています。CIも大学院クリエイティブリーダーシップコース(以下:CL)も、私が担当する映像学科の映像空間においても同様です。
──図面?
篠原:ええ。図面です。スケッチは、イメージはわかるのですが、そのままでは実現できません。スケール、大きさがないから。だから、スケッチだけでものづくりしようとすると、サイズもわからずに現場で木を切ることになる。このぐらいかなって。それじゃあ適当なものしかできないし、自分で思い描いていたものにならない。自分の考えていることが物質に置き換わる前に、どういうものかを理解する方法を手にすることが大切だと考えます。イタリアが建築をベースにデザインや表現を位置づけてきた理由は、そこにあったのかなと、今になって思います。
──それは別に手でやらなくても、CADとかでもいいんですか?
篠原:ええ、CADでも何でもいいと思います。図面を引くと、物やパーツの関係を考えるし、作る手順も考えることになります。できるかできないか、どうやって実現するかを事前に考えることは本当に重要で、スケッチはその図面のための始まりに過ぎない。自分の頭の中にあるものは単なる情報です。それをスケッチに置き換えるのはいいのですが、そのまま図面を引かずに、次に進むからダメなのです。それでは物に置き換えられないです。スケッチ、絵は重力などの制約がないので自由です。自由なだけで終わってしまうと、ファンタジーはあるがリアリティがない。自由の中に制約を課すことをしないとリアリティが生まれないということを知る必要があります。現実の制約の中でいかに自由になれるか。図面を描く作業は構想を現実に置き換える手前の作業で、創造的思考力を手にするための更なるステップだと考えます。
──単なる構想で終わらせないということですね。
篠原: 造形構想学部は、モノだけじゃなく情報やコトも含みますが、構想の社会実装に挑むCI学科と映像学科で構成されています。構想は、当然ですが造形学部でも生まれています。授業や実習ごとに造形の思考を通して、それこそいっぱい生まれ作品になります。造形構想学部は構想を作品という形だけで終わらせず、修学期間に社会実装を試みる学部、学科です。現実社会での実体験で手にする経験と実行力が構想学部の一番のテーマだと思っています。
──既に存在した「造形学部」に対し、「造形構想学部」を新設して、そこにCI、CLを位置づけたのには、構想を実体化する学科だという狙いがあったんですね。造形の思考方法とはどのようなものですか?
篠原:例えば言葉だと「ちょっと右に動かして」というところを造形の感覚で言い換えると「コンマ1ミリ右に動かして」となります。言葉は抽象概念ですが、造形は具体です。映像も含め造形は概念ではなく、具体であり現実です。「ちょっと」は造形において0.1ミリ。0.1ミリの現実を見極めて判断するのが造形の世界で、その世界の中での造形言語による思考方法です。言葉の判断、理解とは解像度が違うのです。
──確かに、街や会社のビジョンをつくるような時、ビジョンを言葉で定義している間はいいんですが、実体化させていくときに、「いや、私の解釈はこうだった」とか、「いやいや俺の解釈はこうだ」みたいな意見が噴出して、まとまらなくなりがちです。
篠原:言葉はみんなが使え、すぐに分かり合えるのですが、その理解は、実はとても曖昧なものです。言葉でなければ伝わらないことがあり、言葉でなければ理解できないこともあります。我々のコミュニケーションの最も便利なツールではあります。しかし、実際にはその解像度は低く、造形言語とは比較になりません。実体化には、超具体的な視点、判断力が必要になります。
──造形、具体だけで構想がないとダメだし、逆に構想だけで造形、具体がないのもダメだと。
篠原:だからこそ造形と構想の往復と繰り返しが重要だと考えます。例えば映像の作品制作です。今は誰でも撮れて、誰でも編集できるようになりました。短尺ものに関しては、すぐに面白いものができるようになります。でも、長尺ものは、これは本と同じで、ちゃんとした考え、構想がないとできません。つまり構想と造形と両方が必要になるのです。短尺もの、造形が簡単だってことではありませんが、作品制作は常にこの往復を繰り返しています。造形学部から移設した映像学科は、今は造形のこの範囲にとどまって、まだ遅れていますが、造形構想学部は、造形活動の場と造形制作の対象を社会へと広げた美大初の試みで、CIとCLはその先陣を切ったわけです。この試みが造形学部にも伝播することを期待しています。また、造形構想学部が、才能がなければとか、絵描と芸術家とか、就職しない、できないとか、そんな世の中の間違った美大イメージを刷新し、美大がすべての人を対象とする学びの場であり、社会における新たな目的の発見や価値を発掘する場になることを楽しみにしています。
聞き手
井上 岳一(日本総合研究所)
若杉 浩一(武蔵野美術大学ソーシャルクリエイティブ研究所)