2024.10.16
「デザインとナラティヴの可能性を探索する 〜個人的な物語は、社会を変える力になる〜」イベントレポート
2024年9月11日、社会における個人の断片的な物語の採集と解釈を通じ、それらを社会におけるインパクトへと昇華させるデザインのあり方を探索する、雑誌・デザイナーコレクティブ「polaris」の取り組みの紹介とメンバー達のプロジェクトの共有・ディスカッションが、武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパスにて開催されました。
近年、デザインの世界では、近代化がもたらす社会への歪を受けて持続可能な世界へのトランジションを志すデザインのあり方が提唱されています。本イベントでは、日本、南米、そしてヨーロッパのアカデミアで学び、人文知とデザインの交点を探求し持続可能な社会へのトランジションを試みるデザイナー達の視点と実践知の共有を通じ、その可能性が議論された場になりました。
雑誌・デザイナーズコレクティブである「polaris」について
武蔵野美術大学造形構想研究科とイギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで学んだ塗木拓朗氏は、同大学院を卒業しアートディレクターとして活動する斎木悠太氏と雑誌・デザイナーコレクティブ「polaris」を立ち上げ、デザインと人文知の交点を探る様々なプロジェクトを展開しています。
塗木氏はpolarisは「思索の旅」をテーマにしたトラベルマガジンだと語ります。旅をするという行為を通じて物理的な境界を超えるだけではなく、精神の境界を超えること。すなわち他者の人生の物語に触れ、自分自身の人生の物語を紡ぎ直す行為が大切だと考えています。
ここでいう「物語」という言葉を、塗木氏は「ストーリー」と「ナラティヴ」といった二つの意味合いに分解して考えているそうです。ストーリーとは人を特定のアクションに誘うためのデザインされた物語であり、一方でナラティブは、デザインされたストーリーではなく、人が世界を知覚することによって生まれる語りや物語であると話します。polaris を制作することを通して、日常の中にある個人的な物語や語りが人々の人生を再解釈するきっかけやパワーへと転換し、社会の希望になっていくようなプロジェクトを行いたいと語ります。実際にpolaris の活動は雑誌という媒体を超えて、自治体や大学において、「ナラティヴ」をテーマにした教育プログラムや雑誌づくりを体験するプロジェクトを展開し、その活動は世界に渡っています。
ロンドンにおけるナラティブコレクティブの事例
チリのポンティフィカトリック大学とイギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで学び、現在はイギリスのFora Designの一員として活動するカラ・デル・リオ氏。彼女は、ロンドンのカムデン・カウンシルのコミュニティエンゲージメントのプロジェクトを手掛けており、システミック・デザインと写真を用いたアプローチを交差させ、どのようにコミュニティに力を与えることができるかを実践しています。
今回は、個人的ナラティブを収集することでより良いサービスを模索する現場として「在宅保護とケア」におけるプロジェクトの事例が共有されました。そして、アプローチの方法として3つの方法が紹介されました。
このプロジェクトの背景は、成人のウェルビーイングに関する調査であり、特に余暇活動について明らかにすることでした。ケアサービスの文脈や関わる人々の関係性は複雑で、サービスを提供する団体と、実際にケアを受けるコミュニティのギャップが確認されています。このような要因の一つには、ケアサービスが公共の場ではなく、自宅という密閉空間で行われていることで、詳細が見えにくく実態が掴みにくいという距離が生じていると話します。
デザイン的介入の1つ目の方法として、写真を活用したデザインリサーチのアプローチについて紹介され、カメラを用いたコミュニケーションが人々との繋がりを育むツールとして取り上げられました。
写真を撮る行為を通して、一度限りの関係性に留まらず、コミュニティのメンバーと長期的な共同活動を行うという責任を明らかにしたことで信頼関係の構築につながりました。また、社会的に孤立されている人々に焦点を当て、その人々のポートレート写真を撮影することは、その社会に対して存在を示し彼らの可視性を高めるだけではなく、彼らが内に秘めていた個人的な物語を引き出すことにも繋がったと語ります。社会から切断されたと思っている人や重要視されていないと思っている人々に対しても、写真を撮ることを通じて、一人一人の存在を証明することになり、結果として彼らの存在意義や目的の創造にも繋がったそうです。
また、写真を活用した個人的なナラティヴの誘発から、ケアする人の心理状況における現状と課題を掴むことに繋がったそうです。そこで、デザイン的介入の2つ目の方法として、ケアワーカーフォーラムという場所を設けることを行ったと語ります。
精神的な負荷が大きい仕事である介護士同士が繋がれる空間というものを用意し、お互いに相談事や ストレス発散をできるような場所を提供することで、人を繋ぐだけではなく、介護士に対する支援拡大に繋げられたと振り返ります。
デザイン的介入の3つ目の方法として、自宅にて介護を受ける人々の心の中に希望をもたらすアプローチを行ったと語ります。
在宅介護を受ける人は多くの時間を自宅の中で過ごします。このような状況にある人々の心理的側面を明らかにするため、写真を介したリサーチを行うと、介護を受ける人が自分自身を恥ずかしい存在と認識してしまう心境が明らかになりました。在宅介護を受ける人々にとって、外との繋がりを持つ時間が介護士の方が訪ねてきた時だけになることも多く、人と新しい関係性を築くことに抵抗を感じるほど希望を失ってしまう現状もあるそうです。
そこで、カラ氏をはじめとするプロジェクトメンバーは、くじ引きと抽選を融合させたシステムを編み出しました。これを「幸せのくじ引き」として、介護を受けている人が自分の夢を回答すると、自治体や介護を行う人に共有されることで抽選で夢を実現させるための賞金が当たるシステムになっています。この取り組みが行われた背景として、自治体が介護を受ける人の現状を把握しにくかったことがあり、この幸せのくじ引きを通して、介護を受ける人々の心の中にある物語を間接的に引き出し、寄り添ったサービスを提供できるようにしていると言います。
このようにFora Designでは、デザインというものは関係性に基づくものだと考え、 ある文脈の複雑性を明かしてくれる人々との長期に及ぶ深い関係を築き上げる手段になりうると語ります。デザインリサーチにおいて個人的なナラティヴの誘発を促し、持続可能な社会的変化を実現できるような関係性づくりを活動の軸足においていきたいと締め括ります。
フィリピンにおけるナラティブコレクティブの事例
デンマークのオーフス大学で映像文化人類学を学び、東京のカルチャーデザインファームのKESIKIで活動する牛丸維人氏。
今回のトークセッションでは、民族誌映画作品の制作を通じ「ケアを提供する者」「ケアを受ける者」という二項対立的な役割認識を超えた、状況に応じた突発的で生成的なケア関係の理解の事例が共有されました。
牛丸氏は、オーフス大学(デンマーク)で映像人類学の修士号を取得しています。従来の人類学では人類学者が研究対象をフィールドノートにテキストで記録していく手法が主流でした。しかし、視覚に閉じない入口で様々なものを理解しようとする多感覚的なリサーチの実践がなされている動きがうまれ、その流れの中で、フィールドワークに映像手法を取り入れた映像人類学という分野が生まれたそうです。
制作された民族誌映画作品の舞台は、北フィリピン・ベンゲット州。その一部である、高原都市のバギオ(Baguio City)およびその周辺に生活する視覚障害当事者たちとともに、彼らが形成する自律的なコミュニティと社会運動に焦点を当て、コミュニティ内部でのケア実践に関するエスノグラフィを行っています。この民族誌映画作品では、障害を持つ当事者たちがともに集まり生活を共有することで獲得する「より大きな声 “bigger voices”」が、いかにして北フィリピンの社会に聞かれることで社会運動につながるかを捉えています。
フィリピンにおける障害を持つ当事者を取り巻く支援状況は非常に乏しく、自らまちに出て稼ぐ必要があるのが現状で、マッサージ屋として活動する人や、音楽活動を行う人など、生きるため・食べるための生業が行われています。「目が見えない」という現状のもとで、感情的・人間的な印象とも語られがちな「ケア」が、生きる手段としての極めてロジカルで戦略的な行為であるというリアリティが立ち上がってきます。
目が見えない者たちによるケアという文脈で、個人のナラティヴが神聖化されてしまうことも少なくないですが、個人的なナラティヴを寄せ集めて集合体とすることで、社会に声を届け、また権力と交渉する役割を担うことにつながります。彼ら個人のナラティヴが集合体となり、共同体の大きな声として段々と社会運動に変わっていくことがフィールドワークの中でも見えてきたものの一つだと語ります。
このように、フィリピンの北部での視覚障害者たちの共同体と共に暮らし、ケアの実践を行うことを通して社会形成とナラティヴの結びつきについて考えた牛丸氏。そのアウトプットの形式は、論文、写真、映像と多岐に渡ります。それぞれが一つの形のアウトプットでありつつも、新しい対話を生み出すツールとして活用していくことを模索しているそうです。人類学やエスノグラフィーを通した記録から対話のきっかけがうまれ、そこから新しい研究やフィールドワークなど対話が生まれる、オープンエンドな取り組みが続いていく可能性を感じます。
レクチャーに続くQ&Aセッションでは参加者の質問を基にした登壇者の対談が行われました。本レポートでは、ピックアップした対談内容をご紹介したいと思います。
雑誌づくりと映像人類学の手法についての深堀り
塗木 氏
人類学や映像人類学に取り組まれている人は、カメラなどの記録媒体と共にお一人で現地に入り込んでいくことが多いのでしょうか。
牛丸氏
基本的には一人で入り込むことが多いですね。最近では、何人かで行くコラボレーションモデルは出てますけど、従来は基本1人で行ってきたと思います。
塗木 氏
雑誌制作の現場と違うところが面白いですね。polarisを制作する際には、2〜3人で取材することが多く、例えば二人で現地を訪れた際には、即興でその場を解釈しながら表現に落とし込んでいくアプローチがあります。それは、人類学の分野で行われている「ありのままを見つめ、記述する」ということと異なりますね。とても興味深いです。
牛丸 氏
興味深いですね。人類学者が一人で現地に入り込む文脈の一つのエピソードとして、エスノグラフィーが挙げられます。人類学の民族誌の記述では、主観をもとに記述されます。それは、その場で起きていることと同様に、その場に自分の身を投じた時に、自分の内面で何が起きているのか、何が生まれてくるのかというところの記述を重要視する背景があります。それは決して客観的ともいえず、また、ピュアに主観的とも言えません。その間のようなところの記述をするという意味で捉えると、1人で現場に入るメリットがあるのかもと実践を通して感じています。
斎木 氏
文化人類学では、ありのままを記述し客観的に記録する手法があるかと思います。そのことに対してカメラで記録することで生まれる影響などはないのでしょうか。カメラを向けられると相手の意識を奪うことにも繋がり、関係性の変化が起こらないのか疑問に思いました。
牛丸 氏
カメラを向けることで人との関係性は変わることも多いです。そのため、相手や滞在するフィールドによって、カメラを回すタイミングを気にしています。
カラ 氏
撮るという行為などを行うことで常に主観的であって、どれだけその客観的なものを心がけようとしても、プロジェクトを行う人の独自の視点が映り込むものだと思います。
ナラティヴを引き出すことが、適切なソリューションの模索につながる
カラ 氏
私は、デザインシンキングを通して、そのアプローチをいかに一般化するかということを行っていきたいと思っています。
特にデザインにおけるインパクトを必要とする現場に対して、単に機会や結果をアウトプットとして提供するのではなく、彼ら自身を正しく理解して、目標とする変化を生み出すための仕組みづくりや、機会を作るために何をデザインできるのかということを長い時間かけて関係性を築き上げ、一緒になって考えています。
この手法は、現代の企業などが取り入れているアプローチとは全く別の方向の軸を向いています。ビジネスの現場では短い期間で結果を出す必要があります。その為、非常に高速でアイデアを拡散して収束して決定していくことを得意としているのです。
岩嵜教授
現代社会において一般的な概念は、プロブレムがあることでソリューションがうみだされるということですが、今回のレクチャーではインターベンション、そして、ナラティブ・フォー・チェンジというところに着眼されてました。
カラ 氏
課題とその課題に対してソリューション化するという2つの関係性で語られることが、今のデザイン界隈の動向かと思います。ですが、多くの場合はそのソリューションが単独で発生することはなく、パーソナルな物語がない限り、そのソリューション自体に辿りつくことができないということを考えています。
牛丸 氏
私自身デザインファームにて、デザイン思考的なフレームを見ることは多々あるのですが、それとの違いとしては、ナラティヴなのかもしれないと今日のレクチャーを通して改めて感じています。カラさんがお話されていたように、あるコミュニティに対して外部の者がフレームワークに基づいて素晴らしいソリューションを提供したり、いいリサーチをしてインサイトに対する素晴らしいアイデアを形づくる想定ではなく、その中から物語を生み出し、ソリューションが湧いてくるというニュアンスが肝かなと捉えています。
polarisを持続可能な活動にするべく、挑戦していること
塗木 氏
ZINEづくりなどを通して、インパクトを生み出し事業として持続していくポイントについて悩んでいらっしゃる方からの質問をいただき、この観点についてもお話していきたいと思います。
私たちが今チャレンジしていることは、ナラティヴといったpolarisの中心核にあるテーマを、他のフィールドに持っていくことです。例えば、国内外の教育の現場でコラボレーションを行っています。あるいは、ナラティヴを様々な角度から見つめる活動にも取り組んでいます。
例を挙げると、文化人類学者や人文学のフィールドにいらっしゃる方たちと組織づくりのためのプログラムを企画したり、ある書店さんと一緒に特集企画を立ち上げることを行っています。まとめると、雑誌という媒体にこだわりすぎることなく、中心にあるコンセプトを他に拡張していくのかを考えることが、一つのサスティナブルなあり方なのかもしれません。
私がイギリスで過ごした大学院生活やこの活動を通して学んだことは、アウトプットやソリューションのデザインよりも、その場をデザインすることの重要性でした。これはpolarisにおいても通じることがあり、紙の雑誌という形をしているものの、場であると捉えています。
例えば、polarisの活動を通して出会う教育の現場やソーシャルインパクトのフィールドで、場を作っていく人々のナラティヴが交わっていくことで、どういう風にナラティヴを生み出すことができるのかということに興味を持ち、挑戦しています。
総評 〜個人的な物語は、社会を変える力になる〜
岩嵜教授
ナラティヴとインパクトの関係性についてもう少し深掘りたいと思います。本日の文脈を基にお話しすると、ソリューションはある種のプロフェッショナルのデザイナーが一方的に提供し、そのことから一時的な関係性で終わってしまうこともある。一方で皆さんが描いている景色は、デザイナーの手が離れてもインパクトがゆっくりと継続していくようなイメージを共有されていると思います。
塗木 氏
そうですね。インパクトには様々な時間軸や大小があると考えています。私の師匠であるジューダ・アルマーニ氏 (RCA)は、「ポップアップは必ずポップダウンする」と言い、その言葉にとても共感しています。つまり、その瞬間、最大風速的に起きたものは必ず萎むという風に彼は考えており、例えば、あるコミュニティにおけるリーダーなど起点となる人が脱退しても、活動が永続的に続いていくことができるかということが、彼にとってのインパクトであることを教えてくれました。
自身の活動に置き換えると、自分にとってのインパクトは発行部数や売れ行きではなく、それよりも活動を通して仲間が増えることや、ナラティヴのフィールドを拡張していくことだと捉えています。
牛丸 氏
インパクトとナラティヴの関係性について、デザインのフィールドから考えていることをお話しします。先程のデザイン思考の文脈を基に話すと、プロセスの中で素晴らしいソリューションを素晴らしいデザイナーとして投げ込もうっていうスタンスから脱却する。つまり、関わってる対象から素晴らしいソリューションが生まれてくることを短期的な目線だけで見るのではなく、中長期的な目線も含めてちょっと待ってみるという人類学的な視点を用いるということに可能性を感じています。
肩書きがデザイナーの人がデザインすることと、デザインが本職ではない人にデザインを委ねること。ある種の余白みたいなところをどうデザインするのか。この「余白」ないしは「待つ」みたいな要素が、いかにこのデザインに関わる我々の普段の仕事に実践できるかということを最近考えています。
ですので、今日のトークイベントもナラティヴであると思っています。
ナラティヴを通して人の生に触れること、つまり語りを通じて私達が介入させてもらうことによってコミュニティが生まれ、その影響が広がっていくことに、個人的な物語が社会を変える力になることの兆しを感じています。
text: 今井咲希